女が職場を去る日

女が職場を去る日、沖藤典子、昭和57年発行、を昨日と今日で一気に読んだ。面白かった。

彼女は仕事に馴れるまでに5年、一生この仕事をやっていくと思い定めるまでに、更に5年かかったと言っている。

一方で、中根千枝氏も「適応の条件」という書で、日本人が外国で現地のゲームのルールを知るまでには5年かかると言っている。

私は薬剤師という専門職ではあったが、いつも2~3年でやめている。そして、それを少しも後悔していない。新しい職場に行くたびに、何かしら得るものがある。馴れると面白くなくなる。緊張感が緩み、間違いも多くなる。彼女の職業に対する執着心に舌を巻いた。

癌が肝臓で原発、肺に転移し、さらに首の骨に転移した、という話も面白くきいた。毎年血液検査をしていてもわからなかったそうである。

私は癌ウイルス説を持っている。この話で自分の説が裏付けられたと思ったのだが。そして肝臓で原発ということは、大腸からウイルスが侵入したと考えられるのだが。大腸がんは肝臓に転移すると言われている。

母が大腸がんになったとき、私は一人で抱え込むことができなかった。大腸がんで母が死ぬとも思えなかったので、思ったとおりのことを母に言った。医者の息子が大腸がんを治す薬はない、と言ったことと、胃がんを手術した優秀な外科医がいると教えてくれた人を手掛かりに、自分でどうするかを決めた。

もっとくわしく言うと、母が物が食べられなくなった。腹が痛い、下痢をするという。息子に相談すると大腸ファイバーをしてみろという。初めてきく言葉だった。調べて、川之江の中央病院内科で大腸ファイバーをした。すぐに入院し、抗がん剤を飲むことを勧められた。私は断って、何ら治療しないまま、1週間で退院した。その間に外科医との話の仲介を頼んでいた。そのころ、私は貞光の病院に勤めていたが、母の話も大腸ファイバーの話もしなかった。退院後、家では病院食と同じように重湯を食べさせていた。腹が痛いと言うので、健生西部診療所へ連れて行くと、レントゲンを撮って、腸が詰まっているといって、三好病院を紹介してくれた。三好病院で鼻から管を入れ空気を抜いた。三好病院から徳島逓信病院へ転院し、そこで手術をした。妹二人が交代で介護を引き受けてくれ、私は仕事をつづけた。

癌の塊が大きかったにもかかわらず、進行してなかったので一命をとりとめた。母が84歳の時、今から8年前のことである。

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2014年6月5日 | コメント/トラックバック(0) |

カテゴリー:ブログ

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