人をからめとる

今、下流志向、内田樹著、2009年第3刷を読み返しています。

学ばない子供たち、働かない若者たち、それは、社会関係に入っていく時に、労働から入ったか、消費から入ったかの違いだというのです。

面白い視点だと思いました。

80年代以降に全国の中学で見られ始めたことなんだそうですけれども、生徒がトイレで煙草を吸っている。それを教師が見とがめて、「こら、煙草吸っただろ」と言うと、煙草をもみ消しながら、「吸ってねえよ」と言うのだとか。

まるで国会答弁と同じ。国会も今や、下流志向なのだろうかと思ってしまいました。

2009年当時ならば、私も内田氏と同じ考えだったと思います。しかし、山本太郎氏を知ってから、考えは変わった。

「強制された無秩序」「膨大な努力を要求する無為」・・・といった一連の不条理な行動は何に基づくものなのか。

それは教室に教師より強い存在がいたとすれば、他の生徒はどうすれば良いのだろう。どうやって自分の身を守ればよいのだろう。今の政治と同じ、今だけ、金だけ、自分だけ、の世界となる。

そんな恐ろしい世界から逃げ出すと、ニートと呼ばれる存在になる。逃げ出したニートには救いの手段がない。なんせ、彼らは誰も信用していないのだから。誰も、あの恐ろしい世界から救い出してくれなかったのだから。やさしい言葉をかけてくれる誰かさんも、いづれは、あの世界の怪物のような人間になると恐れている。

ニートと呼ばれる人たちの教育方法には、パソコンやスマホがある。

消費生活アドバイザー試験のような方法は参考になる。

例えば学校に行けなくなった時点で、次の学級に進むテストをテストセンターなどで受ける。作文などは担任の先生に見てもらえる。学校に在籍しながら、自分で勉強する方法を選ぶこともできるようにすれば良い。自分で勉強し、もっと広い世の中を知るにつれて、社会に対する自信も芽生えてくることだろうと期待したい。

転職を繰り返す思考パターンについても、それが下流志向だと決めつけられれば、転職することは敗北だと思ってしまう。今の仕事、給料は良くても、何をやっているのだろうと思う仕事は少なくないという。すべては忖度の塊のような仕事もあるという。NHK党の党首によれば、NHKをやめられる人は幸せだとか。皆、我慢して、忖度しているのだとか。

私の場合も、卒業して2年で、初めての会社をやめた。会社に不満はなかった。会社をやめて、ずいぶん苦労した。会社をやめたことは下流志向だったかもしれない。しかし、飼い殺しにはされたくない、と思った私の直感は当たっていたと、今になって思う。

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2022年11月2日 | コメント/トラックバック(0) |

カテゴリー:ブログ

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