無縁社会

前日と同じようにバスに乗って木山中学へ行きました。

木山中学では担任が待っていて、相談室に案内されました。そのうち、担任主任も来ました。

孫に会いに四国から来たと言うと、会わせられないと言う。保護者の承諾なしには会わせられないそうである。子供は親だけの私物ではないでしょう、江戸時代には8人の親がいたそうですよ、実の親、とりあげ親、乳母、拾い親、名付け親、・・・・何で!おばあちゃんに会わせられないと言うのかわからん。絆・絆・と言って、学校が絆を絶つんですか。もしも、10年後に孫が私を訪ねて来て、自分が私の孫だと言っても、私にはわからんでしょうが。2~3年に1度は会っておかないと。私は元市会議員の名刺を見せて、私には根性がある、ちょっとやそっとでは引き下がらん、と言った。

先生は困ったですね、と言うばかり。

こんな先生といつまで話し合っていても埒が明かないと思った私は、校内をウロウロした。すると、不審者だ、出て行けと言われた。校内から出て行くまで私を見張っていた職務を全うしたセンコウの写真を私はパチパチと取ってやった。写真の中にセンコウの姿が見えますか。

しかし、ここで諦めたわけではない。ぐるっと回ってグラウンドに出た。

そこで、3人の先生が片付けをしていた。

私は3人の先生に話しかけた。理屈がわかったら、私は出て行くから、誰か私を説得してほしい、何でそこまでするのかわからんと言った。そのうち、担任が来た。説得されたわけではないが、これ以上、ここにいても無駄だと思って、次の行動に出た。

先生には、元気ですね、いくつですか、と問われた。

木山からバスで味噌天神まで行き、歩いて熊本高校へ行ったのである。かなり歩いた。熊本高校も損傷はないように見えるが、危険と張り紙があり、校舎は仮設だった。

すぐに職員室へ行き、益城町で地震に遭い行方が分からなくなった孫を尋ねて四国から来たと言った。先生には今授業中だから、授業が終わった15時50分ごろ、もう一度、ここへ来るように言われた。その間、校舎を見て回った。体育館は損傷ないようだった。プールで消防の方が訓練していた。いつも訓練している場所が使用できなくなって、ここを借りているのだとか。25mが17レーンもあったのには驚いた。せいぜい5~6レーンしか見ていなかったので。

体育館の通路では2年生が「だるまさんが見つけた」という体育の授業をしていた。ユニークで面白い授業を見学した。女性ばかりだったので尋ねると、女性と男性は体力が違うので、体育の授業は男女別々にしているのだとのこと。

15時40分になったので、職員室の前で待っていた。前を通る生徒は皆あいさつした。先ほどの先生が出てきて、「クラブ活動で忙しいらしい」と言った。何のクラブに属しているのかは答えなかった。校内を見学させてほしいと言ったら、首にぶらさげる名札をくれた。1年生の教室に行ったら、何もかもすぐにわかった。今日はクラブ活動はないということだった。おそらく、私を避けて帰ったのだろうと思った。

高校1年生にして、母親の支配下にあることに、もういい!と思って、すべての熊本の電話番号を消した。もう熊本とは縁を切ると決めました。このようにして「無縁社会」は生産されるのです。

今回のことで考えたことは、これは日本社会の構造そのものではないか、個人情報保護法によって、ある一人の人物に情報が一元的に管理され、マイナンバー制によって、お金が一元的に管理される。東京の例でもわかるように、利権は一元的にどこかに行く。

このような情報の遮断、という経験は、今回が初めてではないのです。20代~30代のころに経験しました。若い頃の経験と熊本での経験は、どこかでつながっているような気かしてなりません。

もう一つ、考えたことは、地震によって熊本は困っていないのではないかということ。あちこちで工事が始まり、今後10年くらいは仕事がある。人工地震という言葉が頭をよぎります。戦争と同じく、1%の利益と99%の災難。

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2016年11月1日 | コメント/トラックバック(0) |

カテゴリー:ブログ

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