禁酒法

一昨年の三縄婦人会旅行で「あわじ花さじき」へ行った時の写真です。

今日の新聞で「北朝鮮の密輸 巧妙化」という記事を目にしました。

この記事を読んで、米国の禁酒法を連想しました。

禁酒法のおかげで、ギャング、マフィアの活躍する時代になったようです。

北朝鮮の経済制裁が原因で日本のヤクザや中国のマフィア、ISが活躍しているかもしれません。闇社会が益々大きくなっているのです。

今のうちに北朝鮮をつぶそうという一部の日本人の考え方は危険です。北朝鮮と戦うことは世界の闇社会と戦うことを意味しているかもしれません。北朝鮮を健全な社会に引き戻すことが最も必要なことだと思うのですが。

禁酒法は天下の悪法だったとか。

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2018年1月16日 | コメント/トラックバック(0) |

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ねじれ

祖谷山にも写真のような一本松がありました。東祖谷の阿佐家住宅の近くです。

今日のグーグルに「態度急変、中国が二階氏歓待の思惑」と題して、面白い記事が出ていました。

中国が二階氏を歓待したのは、2000年5月クリントン政権が中国に厳しい姿勢を取っていた時と、2015年5月オバマ大統領の時と、2017年12月トランプ大統領の時なんだとか。

米中がねじれると、日本の出番がくる。

日本も結構、自立した外交をしているのです。ほめてやってください。

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2018年1月14日 | コメント/トラックバック(0) |

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江川

吉野川市の江川です。水は湧水、市内の自主的なグループが清掃活動やイベントを企画しているのだとか。

昨日のグーグルのニュース記事に、米中の密約と題した記事がありました。米国が望む北朝鮮戦争とは、まず日本が先頭を切って北朝鮮退治をし、米国はそれを助けるのだそうです。そして、北朝鮮の戦後処理を日本の金を使ってするのだとか。北朝鮮に圧力をかけようと言っているのは米国と日本だけ、日本は米国にうまく利用されるだろうとのこと。

それでも次の自民党総裁選というと、安倍政権継続しかない。ハンサムで穏健そうな岸田氏は、さらに人形のような危険を感じる。

新党憲法9条の天木直人さんの動画を見ました。主張は正しいけれども、党首としての魅力に欠ける。動画の声も小さくて聞きづらい。批判ばかりせずに立憲民主から立候補してほしいのですが。全国区の立憲民主の末席にでも入れていただければ、立憲民主の株が上がります。「身を捨ててこそ」の心意気が必要です。小林節さんの惨敗の記憶を忘れたのかと問いたい。

湧水があちこちで噴きこぼれているのに、江川にならないのはなぜでしょう。ネットで良い主張をする人はたくさんいるのに、川にならない。イスラム教が分裂しているのと同じ状況ではないのかと思うのですが。

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2018年1月9日 | コメント/トラックバック(0) |

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写真は吉野川市付近にある吉野川の中洲です。北海道のように広いでしょう、と自慢していました。

四国に帰って来た私は、京都での経験から、もしかして、父親は病気で死んだのではなく殺されたのではないかという問題意識を持っていました。

父親は池田郵便局に勤めており、局長をつるしあげた人たちの仲間ではありませんでしたが、広く組合活動をして全国行ったところはないくらいだったと母が言っていました。私が小学校3年生くらいから、心臓弁膜症といわれ、喘息に苦しんでいました。私が中学3年のころ心臓の手術をして、私が高校1年生の時死にました。42才でした。

局長をつるしあげた人は、郵便局をやめ町会議員になっていました。私は四国へ帰ってすぐ、その人と同席して飲む機会がありました。私は厳しい目でその人を睨みつけました。その人は次の選挙には出ませんでした。

父が病気になったと同じころ、若い志ある教師が数人、病気で死んでいることも知りました。

真実はともあれ、そこまで考えて四国に帰ったのです。多少の事では動きません。

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2018年1月8日 | コメント/トラックバック(0) |

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クレーン車

自宅の2階の窓からクレーン車の頭が覗いたので、びっくりして窓から写真を撮りました。写真では小さく見えますが、本当に大きく見えたのです。3階くらいの建物に、なぜあんな大きなクレーン車が必要なのでしょう。

人に殺人を頼むときは、何らかの理由が必要でしょう。CIAが殺人をするときは、まず審判員を選ぶそうです。私の審判員は車椅子に乗った40代の男性でした。私は電車から降り、彦根駅の陸橋を上がったところで、車椅子を持たされていました。私は仕方なく車椅子を押して階段を下りる所まで来ましたが、どうやって下ろしたらよいのかわかりませんでした。誰かが上げたのだから誰かが下すだろうと勝手に解釈して私は車椅子に乗った男性を階段の上に放置したまま学校に行きました。その後、何回か彦根駅周辺で同じ男性に会いましたが、私が話しかけることはありませんでした。

その後、何日か経って、彦根駅の陸橋の上で、異様な事態に遭遇しました。異常に混んでいて、外国人の男性がチラリと私の顔を見た、それだけのことですが、あの時、あの男性が助けてくれたと思っています。

その後も、食中毒、ヘリコプター、外国製のチョコレートのプレゼントなどがありましたが、今、こうやって無事に生きています。

反ユダヤ的思想を持っただけで、殺人はしないだろうと考えます。なぜ殺さなければならなかったのか、私は自分なりの物語を作って、対処しています。

ユダヤ人は若い才能を見つけて取り込むのがうまい。2回生の時に書いた論文で、ある賞を与えて取り込もうとした。ところが3回生の時に私は反ユダヤになったのである。そこで賞を与える側との駆け引きが始まる。私はそれに巻き込まれたのである。

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2018年1月7日 | コメント/トラックバック(0) |

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I play for you.

今日は三縄福寿会新年会でした。写真は健康体操をしているクラブが銭太鼓を演じているところです。眼鏡をかけたり髭をつけたりして演出していました。私は「巡礼お鶴」という詩吟をしました。

滋賀大へは自宅からJR山科駅まで自転車で行き、1時間かけて彦根駅に着き、彦根駅から自転車で学校まで行きました。2回生のころだったか、電車の中で清楚できれいな白人の女性に会いました。彼女は自分はユダヤ人だと言い、「I pray for you」と何度も言い、遊びに来るようにと住所を書いたメモを私にくれました。

3回生までは、ユダヤ人に対して、皆様と同じように、能力がありながらいわれなき差別を受ける民族と考えていました。それは黄禍と言われて西洋人に嫌われる日本人と重なっていました。だから京都新聞に「日本人とユダヤ人が組めば最強の組織となれる」と投稿したこともあります。おそらく、それが原因で私が滋賀大に受かった時、40過ぎて共通1次を受け~と写真つきで京都新聞に大きく掲載されました。

あなたが I pray for you.と言った時、私は I play for you. と聞こえた、と手紙は書きましたが、彼女の家を訪問することはありませんでした。

3回生のころ、宇野正美さんの本を読んで衝撃を受けました。今までユダヤ人について考えていたことと逆の発想をすれば、今までの私の経験や世の中の出来事をスルスルと説明できることに気付いたのです。3回生の夏の論文に反ユダヤ的な論文を書きました。

3回生か4回生のころ留守中、誰かが私の家に入っている気配を感じて、カメラを設置したことがあります。

今振り返ってみて、彼女が私にくれた住所を書いたメモを探していたのではないかと考えています。

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2018年1月6日 | コメント/トラックバック(0) |

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思惑

写真は吉野川市江川公園にある水汲みポンプです。湧水を手漕ぎポンプで汲み上げて使います。きれいな水なので飲み水としても使用できます。災害用にこんなのがあったら安心だと去年三好市に要望しましたが、「生きる」という映画のごとく、あちこちに振り回されて終わりました。

私が滋賀大学1回生の頃、家を新築して入居していましたが、古い家にまだ雑物が残っていました。引っ越しを手伝ってあげると滋賀大の学生が名乗りをあげてくれました。中国人で体格の良いピチピチした女学生でした。

私の家で2~3泊して、荷車で引っ越しを手伝ってくれました。古い家とは歩いて10分ほどの距離でした。その当時、私は息子と2人暮らしでした。

私は山科駅に彼女を迎えに行き、山科駅で見送りました。夏休みだったと思います。交通費もアルバイト代も払ってなかったので、後で石鹸を送りましたが、それっきりでした。彼女とは大学の構内で会ったと思いますが、それが最初で最後です。

彼女は、いったい何のために私の家に来て引っ越しの手伝いをしたのだろう、もしかして、男でだめなら女をあてがってみよう、という誰かさんの思惑ではないかと考えているのですが。

私の言いたいことは、ちょっとした日常生活の中に政治があるということです。私たちの生活と政治は切っても切れない関係にあることを知ってほしいのです。

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2018年1月4日 | コメント/トラックバック(0) |

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あてがう

去年の9月、吉野川市に研修旅行に行った時、ここから見る景色が一番だと言われて撮った吉野川の写真です。

息子が小学校に上がるか上がらないかのころ、米国人の旅行者の民泊を受け入れたことがあります。私の家では女性の親子を受け入れました。無料でしたが、たくさんのお土産をいただきました。2泊だったか3泊だったか忘れました。何で怒ったのか忘れましたが、私はお土産を返すと言って返しました。次の日、夫が自分の車で親子を案内し、お土産を買いに行くと言うので、何でそこまでするの、と腹を立て、かってにしろ、とばかりに息子と二人、家出してホテルに泊まったことがある。

次の日、夫がどうやって親子を集合場所まで送ったのか知らない。私は聞きもしなかったし、夫は言いもしなかった。

その米国の旅行団は評判が悪く、若い男と年取った女性を預かった家庭は、高校生の部屋の隣でシコシコやるのだと怒っていたし、シャワーをいつまでも使うので困ったという話も聞いた。

それからしばらくして、私たちは別れた。私が英会話教室に通っていた頃、親だった人から手紙が来て、日本に行くから会いたいと言う。私は英会話教室の友達を誘って京都駅で会った。親だった人は40代の男性と一緒だった。背が高くてハンサムでフワフワした男性だった。1日京都を案内して、夕方京都駅まで送ってサヨナラしたのだが、今、振り返ってみると、あのおばちゃん、私が別れたことを知っていたのかもしれない、私に男をあてがうつもりだったのではないか、などと考えている。

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2018年1月3日 | コメント/トラックバック(0) |

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ドナドナ

去年、松と榊がほしいと言うので、持って行きました。ついでに買い物のお供をしました。今日、電話があって、餅が余っているから取りに来いと言うので、行きました。そして、お節料理をいただき、3重の重箱の1段目をもらいました。写真が1段目のお節料理です。大阪の子供が送ってきたのでそうです。81才の友達からのプレゼントです。田舎に住んでいると、お金がなくともやっていけると思ったのですが。

昨日はテレビを見て過ごしました。黒澤監督の「生きる」という映画には感動しました。役場の市民課の課長が胃がんで余名1年と知ってから、どう生きたかという物語です。次に「用心棒」という映画を見ましたが、女性を助けるシーンから「胡散臭さ」を感じてテレビを切りました。結末は気になりましたが、結末まで見ていられなかった。

夜は討論会の過去の映像を見て、日本会議とか日米地位協定とか、ネットでしか見られないようなことがテレビに普通に流れているのを知って、日本も少しは変わるかもしれないと思ったのですが。

「おだやかな革命」というドキュメンタリー映画が、2月に公開されるそうです。地域に根差し、太陽光や小水力発電などでエネルギーを自治しながら、新しい暮らしの選択肢をつくり出そうとしている人たちの姿が描かれているのだとか。

「ドナドナ」ある晴れた昼下がり、荷馬車がゴトゴトかわいい子牛は売られゆき・・・鎖を切る、荷馬車を降りる、人はそのようにも生きられるのだとか。

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2018年1月1日 | コメント/トラックバック(0) |

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