遊民

会社に行けない、働けない、大人たちを「引きこもり」等と非難すると、社会の対応が大変になる。夏目漱石のいわゆる「高等遊民」と考えると、大した問題でもなさそうに思えてくる。親の年金で、あるいは国の制度で、食べられるうちは、それでいいのではないかと思うようになった。これは、森嶋通夫著、イギリスと日本、を読んだ影響によるものです。それ以外にも、下等遊民、江戸遊民などという言葉もあるようです。

それ以外にも、森嶋氏はこんなことも言っています。

私は教育期間が長いことは悪だと思っています。第1に、日本では大学を卒業するまで親がかりで、したがって同年層のイギリス人と比べると子供っぽく、同時に無責任です。第2に、22歳で大学を卒業して、はじめて本当の人生が始まりますから、20歳台は日本ではまだ駆け出し時代であります。しかし人生70年のうちで、体力的にも頭脳的にも、最も精力的に働ける時代は20歳台であり、この20歳台を社会的に経験が乏しいという理由で社会の下積みとして過ごすことは、個人的にも、社会的にも大きい損失であります。昔は日本でも、20歳台の後半には、駆逐艦の艦長をつとめておりました。さらにもう少し時代をさかのぼれば、20歳台の大学教授や会社の幹部は決して珍しくはありませんでした。

社会が20歳台の人々に活躍のチャンスを与えるならば、ティーンエイジャーはうずうずし出して、のらくらと大学生活を続けることに耐えがたくなってきます。大学には、本当に勉強したい人だけが残り、大学は本来の機能を取り戻します。一方、社会に出た人たちは若い者の発想法で社会を動かして行くことができます。社会は活動的になり、動脈硬化現象は消えていきます。長い平均教育期間は直截に言って悪であります。

今は多くの学生がアルバイトをし、学生の起業家も増えているが、学生という身分のまま働くということと、できるだけ早く社会に出るということとは違うと思う。欧米では若者の失業率が高く、日本の若者の失業率が低いのは、進学率が高いからだという人もいるが、効率という意味で考えると、若者を遊ばせるよりも働かせる方が良いに決まっている。自分の仕事を息子に譲るために、役場を早く退職した親の話もきいている。進学率などという姑息な考えでなく、若者の失業を減らすための制度も必要なのではないかと思う。

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2014年6月4日 | コメント/トラックバック(0) |

カテゴリー:ブログ

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