写真は吉野川市付近にある吉野川の中洲です。北海道のように広いでしょう、と自慢していました。

四国に帰って来た私は、京都での経験から、もしかして、父親は病気で死んだのではなく殺されたのではないかという問題意識を持っていました。

父親は池田郵便局に勤めており、局長をつるしあげた人たちの仲間ではありませんでしたが、広く組合活動をして全国行ったところはないくらいだったと母が言っていました。私が小学校3年生くらいから、心臓弁膜症といわれ、喘息に苦しんでいました。私が中学3年のころ心臓の手術をして、私が高校1年生の時死にました。42才でした。

局長をつるしあげた人は、郵便局をやめ町会議員になっていました。私は四国へ帰ってすぐ、その人と同席して飲む機会がありました。私は厳しい目でその人を睨みつけました。その人は次の選挙には出ませんでした。

父が病気になったと同じころ、若い志ある教師が数人、病気で死んでいることも知りました。

真実はともあれ、そこまで考えて四国に帰ったのです。多少の事では動きません。

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2018年1月8日 | コメント/トラックバック(0) |

カテゴリー:ブログ

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