理想論

11月19日~20日に池田町総合体育館で開かれていた平和展の様子です。私は準備と後かたずけに参加しました。

「憲法9条を持っている日本国民にノーベル平和賞を」の署名も25筆集まりました。ありがとうございます。

ユーチューブを見ていると、「憲法9条を守る?理想論を言うな!」というタイトルを目にしました。

憲法9条は理想論ではなく、現在も存在している事実です。まがりなりにも戦後70年以上守ってきたことは奇跡に近い。たとえ奇跡であったとしても、理想ではなく事実です。

北朝鮮の核が怖い?馬渕睦夫氏によると、北朝鮮の核を容認しているのは、アメリカ・中国、北朝鮮の核で最も利益を得ているのは米国、同盟国である米国を日本がなぜ恐れる必要があるのですか。

馬渕睦夫氏によると、慰安婦問題も歴史認識も、中国・韓国・米国の日本に対する新三国干渉、日本は中国ばかり恐れていますが、同盟国である米国はどうするのですか。日本は憲法を改正して、再び中国とも米国とも戦争するつもりですか。

これだけ日本が平和で安定しているのは憲法9条のおかげだと思っています。馬渕睦夫氏は憲法9条を改正して、米国の真似をして軍事力で圧力をかけることが外交には必要だと言っていますが、軍事力によって圧力をかけるのは外国ばかりではなく、日本国民だということも知っておく必要があります。これ以上、日本国民を物言えぬ民にはしたくないですね。

馬渕睦夫氏は日本の軍隊が日本国民のためにあると思っているようですが、間違いだと認識できませんか?

今の日本の軍隊は米国のグローバル企業のためにあると、私は認識しています。いえ、軍隊だけでなく政府も官僚も。

いくら諜報機関があっても「誰のために働くか」を知らなければ、国民は「つんぼさじき」にされたままです。もしも戦前のような諜報機関があったならば、馬渕睦夫氏などは1番に口封じの憂き目にあうと思うのですが。

高山正之氏によると、国連に金を出しても何の意味もないとか。日本は金ばかりでなく自衛隊も派遣しています。自衛隊を派遣することにより、日本は国連の常任理事国を目指しているのだとか。

誰かが言っていたように、国連は第2次世界大戦・戦勝国の機関です。国連を軽視しろとは言いませんが、常任理事国になろうなどという野心は捨てた方がよいように思います。大国意識を持たず、普通の中進国のように行動すれば良い、というのが憲法9条を守る立場の私たちの考え方です。それが理想論だとはとても思えませんが。

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2016年11月24日 | コメント/トラックバック(0) |

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議会報告会

写真は県立佐賀城本丸歴史館から見た庭園です。

先日、某市議の議会報告会に参加しました。テレビも徳島新聞もないので、三好市の政治については情報不足だったのですが、参加して驚きました。

私も参加して新庁舎基本計画を作ったのですが、多目的ホールが2500㎡から1500㎡に変更になっていました。工事費が高くなったからという理由ですが、こういう場合はケチらなくて良いと思うのですが。安倍さんの散財に比べれば小さい、小さい、景気をよくするためには公共投資しかないのです。思い切って使って良いと思うのですが。

10人の議員が船井電気跡地に新庁舎を建てるべきだと反乱を起こしているらしい、これは利権を奪い返すための手段であって、おそらく、次の市長選挙に狙いを定めている。

耕地弘氏が後援会会長を務めていた。おそらく、四国電力のOBによる要請だと思った。耕地弘氏は長く老人会の会長をしていて、その人脈が議員を支えている。

俵市長時代に市の財政をちょろまかしていた木下議員が背景にいて、10人の議員を差配しているようだ。「ちょろまかしていた」と言うと、また訴えられそうだが、それは署名活動もしたし、裁判沙汰にもなっている事実である。議員の2/3以上の賛成がなかったので、議員失職をまぬがれているときいている。木下議員に世話になったという人は多く、かくれた人脈があるのだろう。

山口製材が国の補助金をもらうのに、木下議員・古井議員・西内議員の3人が東京に行った、と言っていた。このようにして、利権と人脈ができあがるのである。

12月9日金曜日17時、突然、西内議員が訪れて「山口製材が国の補助金をもらう」というのは間違っているから消してくれ、と言われた。まもなく、山口製材から電話があり、国の補助金はもらっていない、名誉棄損で訴えるという電話があった。

西内議員は、「山口議員さんと一緒に林野庁へ国の補助金をもらいに行く」と言ったそうである。私が聞き間違えたらしい。

林野庁から補助金をもらったら、めぐりめぐって山口製材にも補助金が出るのとちゃいますか、と言っても、この文章なら、山口製材が議員を使って補助金をもらっているようにみえる、山口製材にそんな力はない、人を落とし入れるのかと言われて、土下座して謝りました。

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2016年11月15日 | コメント/トラックバック(0) |

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旅の終わりに

写真も阿蘇ファームランドのドームハウスです。

九州からの旅の帰りは、黒崎から小倉まで普通で、小倉から岡山まで新幹線で、岡山から金毘羅駅まで特急で、金毘羅駅から乗り換えて普通列車で三縄駅まで帰った。

普通列車の中で、三縄の製材所をよく知っている人に出会った。今、震災の影響で製材所は好景気なのだろうとたずねると、いや、あまり製品は動いていないという、意外だった。

ドームハウスの写真を見せて、災害に強くて省エネ、どう思うか、たずねた。「うん、これなら省エネだろうな~。めずらしい写真を見せてくれてありがとう」と言って、財田で降りた。

時間は20時40分、阿波池田駅で高校生が列車に乗ってきた。今まで何をしていたのか尋ねると勉強という。先生も一緒かとたずねると、先生も一緒だと言う。先生も大変だな~と言った。

三縄駅で降りると高校生が一緒に降りた。何をしていたのか尋ねると、クラブ活動でバレーボールの練習だと言った。先生も一緒かとたずねると、先生も一緒だという。先生も大変だな~と言った。おそらく、残業代なしでがんばっている。

その後、学校の先生の親に話をきく機会があった。過剰労働とのこと。学校の先生というと、田舎ではエリートである。日通のエリート女性社員の自殺を思い起こす。エリートといえども自分の意見を言えない、大勢に従わざるを得ない、エリートが社会を変革しないで誰がするのだという矛盾、矛盾に気が付いても変えられないエリート、日本社会って何なんだろう。一部の人が言う「日本社会は北朝鮮と同じ」という言葉にうなずくのですが。

このようにして、私の濃厚な九州の旅は終わりました。

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2016年11月13日 | コメント/トラックバック(0) |

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エコ・ライフ社

いよいよ四国へ帰る日、10月27日、13時に「世直し釜」エコ・ライフ社に訪問の予約をしていた。

八幡西区は地図で見ても、ややこしい場所である。しかし、切符を買うとき、駅員さんに懇切丁寧に教えていただいていたので、迷わずに行けた。

まず、水前寺駅から熊本駅へ行き、新幹線で福岡まで行く。福岡から特急に乗り換えて黒崎まで行く。写真は特急の座席の後ろに切符を入れる袋があり、面白いと思って撮りました。忘れそうなので、私は使いませんでした。

黒崎から筑豊電鉄に乗り換えて森下駅で下車。

写真のように立派な2両編成の列車でしたが、エコ・ライフ社の方は電車に乗ったことがないと言って、駅の名前も知りませんでした。

森下駅で降りると、何にもない所でした。

最近どこへ行っても、ごろごろ、ゴロゴロと車の付いたトランクを押しています。私も母のトランクを借りて持って行きました。「しまった!黒崎でコインロッカーを探せばよかった」と思いましたが、あとの祭りです。

森下駅前の周囲を見渡すと、公共の建物らしきものが見えました。戸を押すと開いていました。トイレを借りて、名札と携帯電話番号を書いて、廊下の隅にトランクを置いてきました。

スマホがなければ、どこをどう行くのかわからなかったと思います。スマホで現在の位置を確認しながら、身軽ないで立ちで歩きました。途中、人がいれば、「世直し釜」って知っているか、エコ・ライフ社って知っているか、たずねました。知っている人はいなかった。

11時ごろ着いたので、時間はたっぷりあった。温水プールの施設に入って、「世直し釜」があれば、紙おむつなどを燃やせて、その熱でプールの水をわかせば、重油はいらんのに、1石2鳥のこの釜をなぜ使わないのか、説教してきた。そんなもの知らないというばかり。

12時になったので、池田町にあるような小さな食堂で定食を頼んだ。若い男性の隣に座らせてもらって、何の仕事をしているのかたずねた。美容師だと言った。私の仕事をたずねたので、薬剤師で元市会議員と言った。選挙にはお金がかかるんでしょ、と言ったので、お金をかけないから落ちるのよ、と言っておいた。でも、何回も落ちていると、いろんなことがわかるようになる、とも。

12時半に食堂を出て、お土産を買って、13時にエコライフ社に着いた。写真のような場所だった。戸が閉まっていた。

隣の車修理工場にきいても知らないと言う。駅へ向かっての帰り道、もう1軒、人がいたのでたずねてみた。「世直し釜って大きな看板があるところでしょ。昼ご飯でも食べに行っているかもしれないから、電話してみたら?」と教えてくれた。電話してみると、昼ご飯を食べに行って、私が来るのは1時半と勘違いしていた、と言った。

会社では伊藤勝造・代表取締役と写真の水上勝春・取締役2人にしか会わなかった。こんな気楽な会社なら、着いたらすぐに行けばよかった。残念でした。

「世直し釜」も説明してくれたが、他にもいろんなことをしているらしくて、トイレの商品も説明してくれた。バイオ・チップを入れて電気でかき混ぜると、便も紙も消えるのだという。昔この製品に目を付けたどこかの会社が大量生産したのだが、このチップには及ばなくて中止したとか。三好市にも黒沢湿原にバイオ・トイレがあるが、この製品をまねたものだろうと思った。黒沢湿原のトイレを利用したことはない。

こんな製品があったら、震災の時便利だし、家庭や病院のベッドの脇に置いておけば、誰の手を煩わすこともなく排便ができると気に入ったのですが、製品はこれしかなく、注文生産なのだとか。

20万円くらいと言っていましたが、ほしい人がいたら、一緒に注文しませんか。三好市には、まだボットン便所のところも多数あります。水洗便所にするよりも経費が安いと思うのですが。浄化槽に補助金が出るのならば、バイオトイレにも補助金が出ても良いと思うのですが。

元池田町助役だった同級生に話をすると、生ゴミが消えると言われてバイオ・チップを導入したことはあるが失敗した、と言って信用されなかった。

他にも浄水器を製造しているらしい。

水道の水はこんなに汚いのよ、と目の前でコップの水に電気を通すと、写真のようになった。

自分たちの浄水器は99%純粋だと言っても、最初は何のことかわからなかった。

一般の浄水器は、エイズウイルス・インフルエンザウイルスまでは除去できるが、鉛やヒ素、放射性物質までは除去できないのだとか。

スーパーで売っている飲料水はすべて調べたが、自分たちの浄水器にはかなわないのだとか。

写真の2つのコップには水道水が入っています。塩素を検出する試薬を入れて、1つのコップに指を突っ込みました。すると試薬の色が消えました。皮膚から塩素が吸収されたのだとか。

私は伊藤勝造氏を信用した証として、完璧すぎる浄水器を買いました。

11月8日にクラシアンという全国展開している水道工事屋さんが来て、台所だけ浄水器をつけてくれました。まだ使える浄水器と温水器の残骸を見て、ちょっぴり後悔しました。

11月12日に全ての浄水器の工事を終えました。大変満足しています。後のフォローもしっかりしています。ちゃんと工事が完了したかどうか確認するから写真を送れと言ってきています。

エコ・ライフ社へ行く前は、送ってあげると言っても、絶対に送ってもらわないと決めていたのですが、水上氏に森下駅まで荷物を取りに行って、黒崎駅まで送ってもらいました。

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2016年11月7日 | コメント/トラックバック(0) |

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阿蘇ファームランド

熊本は4泊の予定にしていました。最後の日は、帰りの切符を買いに水前寺駅まで行き、阿蘇ファームランドへ行きたいと思っていましたが、本当に実現するとは思っていませんでした。どこにあるか、どうやって行けばよいか、見当もつかなかったからです。

阿蘇という駅まで行きたいと言うと、肥後大津までしか列車がないのだという。とりあえず、肥後大津までの切符を往復買って、列車に乗った。

肥後大津に着くと、北口と南口がある。北口にいた駅員さんに、ドームハウス・発泡スチロールの家がある所を知らないかきくと、そんなもの知らない、南口に情報センターがあるから、そこできくとよい、と教えてくれた。

情報センターに年配の女性がいて、懇切丁寧に教えてくれた。今10時前、11時に大分行きのバスがあるから、それに乗って赤水駅で下車、そこからタクシーで行っても近いし、バスもあるとのこと。

写真は赤水駅です。閉鎖されていてバスもどこから乗るのかわからなかったので、タクシーで阿蘇ファームランドへ行きました。運転手さんが阿蘇ファームランドは広いから降りた場所の名前を教えてくれ、電話する時はその場所を言うように教えてくれた。

ドームハウスをどう思うか、運転手さんにたずねてみると、あないなもの50年はもたん、と言った。地元で全く評価されていないことに驚いた。

動物園でウロウロしたり、住宅街を歩いたり、温泉もあったが、準備してなかったので入らなかった。

1時間ほどウロウロして、遅い昼食を取り、タクシーを呼んで赤水駅に帰った。タクシーの運転手さんに、平成7年にできていて、もう20年以上になる。50年はもつと思うけど、と言うと、木造建築だって50年くらいしかもたんわな~と言っていた。

「いくつあると思う?」とたずねるので、「247番地まではあった」と言うと、「500戸はある。半分しか見てないんやな~」と言った。「そんなにたくさん作って、満室になることはあるの?」ときくと、「中国人が来たときは満室になる」と言っていた。しかし、中国へ輸出したという話は聞かない。輸出するには何が足りないのだろう。

赤水駅のバス停でバスの時刻表を見ると、2時間に1本しかない。近くに郵便局があったので、たずねてみると、ジョイフルという大きな外食店が近くにあって、そこで1時間過ごした。肥後大津から赤水駅のバスは雄大な阿蘇の外輪山を超える旅で、天気が良ければすばらしい旅になったのにと思った。

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2016年11月5日 | コメント/トラックバック(0) |

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無縁社会

前日と同じようにバスに乗って木山中学へ行きました。

木山中学では担任が待っていて、相談室に案内されました。そのうち、担任主任も来ました。

孫に会いに四国から来たと言うと、会わせられないと言う。保護者の承諾なしには会わせられないそうである。子供は親だけの私物ではないでしょう、江戸時代には8人の親がいたそうですよ、実の親、とりあげ親、乳母、拾い親、名付け親、・・・・何で!おばあちゃんに会わせられないと言うのかわからん。絆・絆・と言って、学校が絆を絶つんですか。もしも、10年後に孫が私を訪ねて来て、自分が私の孫だと言っても、私にはわからんでしょうが。2~3年に1度は会っておかないと。私は元市会議員の名刺を見せて、私には根性がある、ちょっとやそっとでは引き下がらん、と言った。

先生は困ったですね、と言うばかり。

こんな先生といつまで話し合っていても埒が明かないと思った私は、校内をウロウロした。すると、不審者だ、出て行けと言われた。校内から出て行くまで私を見張っていた職務を全うしたセンコウの写真を私はパチパチと取ってやった。写真の中にセンコウの姿が見えますか。

しかし、ここで諦めたわけではない。ぐるっと回ってグラウンドに出た。

そこで、3人の先生が片付けをしていた。

私は3人の先生に話しかけた。理屈がわかったら、私は出て行くから、誰か私を説得してほしい、何でそこまでするのかわからんと言った。そのうち、担任が来た。説得されたわけではないが、これ以上、ここにいても無駄だと思って、次の行動に出た。

先生には、元気ですね、いくつですか、と問われた。

木山からバスで味噌天神まで行き、歩いて熊本高校へ行ったのである。かなり歩いた。熊本高校も損傷はないように見えるが、危険と張り紙があり、校舎は仮設だった。

すぐに職員室へ行き、益城町で地震に遭い行方が分からなくなった孫を尋ねて四国から来たと言った。先生には今授業中だから、授業が終わった15時50分ごろ、もう一度、ここへ来るように言われた。その間、校舎を見て回った。体育館は損傷ないようだった。プールで消防の方が訓練していた。いつも訓練している場所が使用できなくなって、ここを借りているのだとか。25mが17レーンもあったのには驚いた。せいぜい5~6レーンしか見ていなかったので。

体育館の通路では2年生が「だるまさんが見つけた」という体育の授業をしていた。ユニークで面白い授業を見学した。女性ばかりだったので尋ねると、女性と男性は体力が違うので、体育の授業は男女別々にしているのだとのこと。

15時40分になったので、職員室の前で待っていた。前を通る生徒は皆あいさつした。先ほどの先生が出てきて、「クラブ活動で忙しいらしい」と言った。何のクラブに属しているのかは答えなかった。校内を見学させてほしいと言ったら、首にぶらさげる名札をくれた。1年生の教室に行ったら、何もかもすぐにわかった。今日はクラブ活動はないということだった。おそらく、私を避けて帰ったのだろうと思った。

高校1年生にして、母親の支配下にあることに、もういい!と思って、すべての熊本の電話番号を消した。もう熊本とは縁を切ると決めました。このようにして「無縁社会」は生産されるのです。

今回のことで考えたことは、これは日本社会の構造そのものではないか、個人情報保護法によって、ある一人の人物に情報が一元的に管理され、マイナンバー制によって、お金が一元的に管理される。東京の例でもわかるように、利権は一元的にどこかに行く。

このような情報の遮断、という経験は、今回が初めてではないのです。20代~30代のころに経験しました。若い頃の経験と熊本での経験は、どこかでつながっているような気かしてなりません。

もう一つ、考えたことは、地震によって熊本は困っていないのではないかということ。あちこちで工事が始まり、今後10年くらいは仕事がある。人工地震という言葉が頭をよぎります。戦争と同じく、1%の利益と99%の災難。

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2016年11月1日 | コメント/トラックバック(0) |

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