今日のあれこれ

アレルギーの薬をもらいに病院へ行ってきました。帰りにうどん屋で昼食を食べました。その時に駐車場から撮った写真です。

遠くに吉野川が見えます。桜はほぼ満開でした。

11月のはじめ、初めて大きな蕁麻疹ができた時は驚きました。もう治らないかと思っていたのに、原因はわからぬまま徐々に治ってきました。薬の飲み方にもなれました。

最初、胃の薬とアレルギーの薬を処方されました。なぜ胃の薬なのだろうと思っていたのですが、胃の薬を飲んだ方が良く効くことを知りました。胃酸を抑えることによりアレルギーの薬が良く効くのだろうと解釈しています。

米、マドウロ大統領を麻薬密輸罪で起訴、という記事を目にしました。ベネズエラでは2人の大統領が現れて、米軍が介入かと思われたのですが、そこには至らなかったようです。

そこで連想するのはアフガニスタンです。アフガニスタンには2人の大統領が現れて政治が混乱しているようです。1人は米軍が支援していると思っています。アフガニスタンの方がベネズエラの先を行っているわけです。

中村医師が国境なき医師団員として最初にアフガニスタンへ行ったのは、天然痘を世界から撲滅するためだった。それを待って、米国がアフガニスタンを支配するためだったのかもしれない。国境なき医師団については、美談にかくれて、とかくのうわさがある。それを裏付けるもののようだ。

アフガニスタンの北西部にはハザール王国の首都だったと思われる遺跡があるという。夢よ、もう一度!ということではないのだろうか。

いずれにしても米軍はアフガニスタンからは撤退しないでしょう。米軍が撤退しないかぎり、アフガニスタンの混乱は続く。

またイエメンからサウジアラビアへロケット弾が着弾したとか。サウジアラビアは冷静な態度を取ってほしい。背後に米軍がいることは明らかです。米軍が戦争をさせようとしている。敵は目の前にいるのでなく、背後にいることをお忘れなく。

北朝鮮人権問題、日本の姿勢に世界が失望?を読んで、今まで日本政府が積極的に北朝鮮非難決議案を国連人権理事会に提出していたのかと思っていました。そうではなくて、国際的な要請に基づいて日本政府は踊らされていただけだとわかりました。

日本は韓国と共同で、北朝鮮は隣人である。良き隣人とは言えないとしても、隣人に対して制裁を課す、けんかを売るようなことはしたくない、ときっぱりと宣言してほしい。世界ではなく日本を大切にしてほしいものです。

韓国は米軍の駐留経費に折り合いがつかず、在韓米軍の韓国人職員に無給休職を通告したとか。結構じゃあないですか。どちらが先に根を上げるか楽しみです。日本も韓国を見習って、在日米軍の日本職員の給与を凍結しても良いと思うのですが。それが韓国に対する支援です。

三好市の市長は革新系なので不公正なことはしないと思っていました。しかし入札の不公正はあるとか。革新も金には弱いのか、市職員を統制できないのか、政党政治には失望です。

N国党が、また面白い選挙戦術を考えたとか。野党連合と同姓同名の候補者を立候補させるのだという。奇抜な考えを思いつき実行する、その行動力に脱帽です。民主主義に絶望することもないという・・・

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2020年3月29日 | コメント/トラックバック(0) |

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タロとジロ

2月22日房子さん7回忌の時に買った花です。今はかなり、くたびれていますが、まだ捨てずに飾っています。

今日は近所の人と一緒に昼食を食べに行きました。いつも一人で行っているのですが連れができて幸せです。その人は最近一人でこちらに引っ越してきた90才の女性です。一人で引きこもっているのかと誘ったのですが、何の何の、あちこちと食べに行っているし、祖谷へ行ったり丸亀へ行ったりしている話を聞いて目を丸くしました。

先日、南極観測隊として最初に行った犬が南極に置き去りにされて、生き残っていたタロとジロの話をテレビで見ました。なぜ生き残れたのか、リカという年取った親代わりの犬がいたこと、首抜けという技術を知っていたこと、などを知りました。

リカは首抜けをして2~3日いなかったことがあるのだとか。そのとき周囲の様子を観察に行ったのだろうとか。

このテレビを見て、犬は支配され上手なのだな~と思いました。日本人も支配され上手なのかもしれないとも。

もう一つ、渡辺恒雄氏の戦後政治の証言を見て、ネットで渡辺恒雄氏はCIA要員だと言う人がいたが、それは違う、渡辺恒雄氏は愛国主義者だということも知りました。同時に朝日新聞を批判する人たちを右翼と思っていましたが、批判されるべき何かがあるのだろう、まだ何かは分かっていないが、と考えています。朝日新聞よりも毎日新聞の方がしっかりした意見を言う、という話は聞いたことがあります。

もしも日本が軍隊を持ったならば、米軍との交渉は日本軍が行うべきで、日本政府は米国政府と交渉を行うべきだと思っています。今は日本政府が米軍と交渉を行っているらしい。

米軍が腐っているのは世界に知られています。戦争を世界中に輸出している米軍、手垢のついていない日本軍が世界に現れたら、世界が変わるかもしれないと今思っています。

国民を馬鹿にしている日本政府、日本軍が現れたら、一目置くにちがいない、と今思っています。

ただし、日本軍がずーっと潔癖であればの話です。ずーっと潔癖であるかどうかは疑わしい。だから今まで反対してきたのです。そういう不安の中で揺れています。

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2020年3月21日 | コメント/トラックバック(0) |

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最近考えていること

写真は一宮神社のイチョウの木です。2017年10月17日お祭りの時の写真です。

朝起きると雪がうっすらと畑に積もっていました。今日は竜神さんと地神さんのお祭りです。8時一宮神社集合だったので7時45分に家を出た時には、雪は解けていました。8時前に一宮神社に着いたのですが、皆さん来ていました。お供え物を一宮神社、竜神さん、地神さんに分け、当屋が炊いたコメと洗い米を器に盛り、8時30分に竜神さんと地神さんをお祭りしている一宮神社のすぐ上の山へ車を乗り合わせて出発しました。

昨日は日曜日で地元の店はお休み、お供えの鯛は店の開く9時に到着するとのことで、私が一宮神社に残って鯛を待ちました。

鯛は予定どおり到着したものの、あてにしていた車がありません。途方に暮れていたところ、「こんなこともあろうかと」と車を準備していたお隣さんがいて、無事山の上まで鯛を運ぶことができました。

細かい行き違いはたくさんありましたが、大した事故もなく無事お祭りは終了して、帰ったのは11時30分でした。

町内会長である私は帽子を着たまま玉串を神様にささげていました。玉串をささげているとき長老から帽子を脱げと言われました。すぐに帽子は脱いだものの、いつか反論してやろうと思っていたのですが、その機会がなかったので、ここで反論します。「宮司さんが帽子を着ているのに、なぜ私が帽子を着てはいけないのか」

組内の人たちは自分のできることを率先してがんばり、お供えを分ける事、お茶やお酒の準備、後始末、誰も何も言わないのにテキパキと終わりました。こんな自治会を誇りに思います。

私は平和憲法を守ることを私の一生の課題にしようと思っていました。

しかし、歴史観が変わると、一生の課題も変わります。

私は今まで太平洋戦争を、軍部の独善で突入した無謀な戦争だと思っていました。軍隊というものは力だけを頼りとする何をするかわからない恐ろしい組織だと思っていました。

しかし、イランの軍隊に同情します。パレスチナの軍隊に同情します。アフガニスタンのタリバーンに同情します。キューバ革命を素晴らしい民衆の成果だと思います。ベトナム軍が米国に勝ったことを称賛します。それらの軍隊と旧日本軍を重ね合わせたのです。

なぜ、あんな無謀なインパール作戦などをやったのかと非難されます。

しかし、日本軍の中にインドの革命家がいて、その人を支援するためだったと言えば、少しは評価の仕方が変わってくるのではないかと思います。

確かに旧日本軍は手段として悪いこともした、しかし目的は間違っていなかった、民衆の開放だったのだということになれば、話は違ってくる。

私は日本国憲法を改正して、軍隊を認めても良いと考えるようになりました。

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2020年3月16日 | コメント/トラックバック(0) |

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役場の馬鹿垂れ!

もう20日前になります。母親の7回忌をしました。3巻の掛け軸を返しに行って帰りでした。1m下に田んぼがありましたが、そこに左前車輪を落としました。すぐにJASに電話して事なきを得ましたが、今振り返ってもゾ~ッとします。

車のライト(目)の下に左右鼻があります。そこを開けてネジを差し込み、ワイアーで止めてから作業をしました。無駄なものは何一つないのだ、と改めて驚きました。

今日は6時半に起きてラジオ体操をしましたが、途中大便をしたくなり、戻った時にはラジオ体操は終わっていました。

それでも1分間の片足立ちをしたり、1分、1分の背伸びをしたり、食事をして弁当を作って、シャワーをして、バイトに行くために8時40分ごろ家を出ました。家を出て、車に乗ろうとしたら、右手人差し指がしびれるのです。手がしびれた経験は初めてだったので驚きました。他の指と違ったところはないか、調べてみましたが、冷たさも色も形も同じなのに、人差し指だけしびれているのです。

手をこすったり暖めたりして、無事職場に着きました。仕事を始めた頃には治っていて、何事もなく一日が終わりましたが、こういうこともあるのだ、年を取ったのだな~と思い知りました。

昨日、選挙などでお世話になった人が尋ねて来て、体温計がないという。薬局へ2件行ったのだけれどなかったとか。勤務先の薬局に電話するとあるらしいので紹介した。

今日、薬局に行くと真っ先に「体温計買ってくれたよ。ええおばはんやから、あんじょうしてやってや」と言ってくれたとか。大笑いしました。

今日、職場で腹の立ったことがあります。

私たちはゴミの分別をしっかりとしています。プラと書いているゴミをプラスチック入れの袋に入れています。紙類は大きな米袋に入れています。それが突然、薬局は個人ではなく、事業者だから資源ごみは回収しないのだと言われたそうです。それならば、燃えるゴミに出すしか方法がありません。せっかく燃えるゴミを減らそうと努力しているのに役場が阻止するとは。

役場の馬鹿垂れ!と叫びながら、プラスチック容器を燃えるゴミの袋に放り込みました。

役場では事業者のゴミは引き取らないという決まりがあります。しかし、大企業なら別ですが、中小の事業者のゴミは役場が引き取るべきだと考えています。民間のゴミ引き取り業者に頼むと、分別なんかしません。何もかもごっちゃにして三好市の焼却場に持って行き、焼却費用の差額を利益とします。事業者の焼却ゴミは多ければ多いほどゴミ業者の利益となるわけです。

一方で三好市の焼却施設は作り変える時期にきていますが、いまだに焼却施設の場所は決まっていません。三野町に焼却施設を作る予定でしたが反対されました。大利の最終処分場も満杯予定時期を超えています。三好市の燃えるゴミは、できるだけ少なくするべきなのです。

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2020年3月12日 | コメント/トラックバック(0) |

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チューリップの成長

いつの間にか、チューリップが写真のように成長しました。待っていたらやがて花が咲きます。咲くまで待とう、チュウリップ

最近、雨が多いと思いませんか。いつだったか、雨を降らせるために、インドでケムトレイル散布をしているという記事を目にしたことがあります。

今回、ふっと思ったことは、ケムトレイル散布と共に、新型コロナウィルスも一緒に散布しているのではないかと。誰か確認していただけますか?

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2020年3月9日 | コメント/トラックバック(0) |

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サクランボの花

私の家で一番先に咲くサクランボの花です。一週間で写真のように違っています。

最初、サクランボの花が咲いた!と思って撮ったのですが、一週間経ったら、もっと咲いた!

新型コロナウィルスで全校休校にしたこと、批判もあるようですが、良い機会だ、日本人もっと休もうよ!という心境です。

経済が破綻する?まだ餓死者が出ているわけでない、ちょっと立ち止まる、良い機会だと思うのですが。

安倍首相が新型コロナウィルスを特別措置法2年の時限措置にするとか。

政府にはそれほどの緊迫感があるようです。

新型コロナウィルスが原因で株価の大幅値下げ、恐慌を恐れているようです。

1930年の恐慌が原因で1936年の2.26事件に発展、太平洋戦争の引き金を引いた、その記憶を忘れてはならないと思っています。

一方で暴動には反対です。暴動には扇動者が必ず出てくるから、扇動に振り回されないようにしなければなりません。トイレットペーパーくらいなら可愛いものです。一度暴動を起こすと、関係のない者まで逮捕され、チベットやウイグルのようになってしまうのではないかと心配しています。

それでは、どうすればいいのか、ということですが、じっと我慢の子、周囲が崩れるまで待てばよい、と思います。

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2020年3月5日 | コメント/トラックバック(0) |

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2.26事件

去年植えたチューリップが生えてきました。

先日、テレビで2.26事件の新しい資料が出たとかでドキュメンタリー番組を見ました。予想以上に緊迫した情勢で、しかも海軍は事前に知っていたのだとか。

海軍が事前に知っていて何もしなかった、という事実に興味を持って調べてみました。

1931年3月事件

1931年10月事件

1932年血盟団事件

1932年5.15事件

1934年陸軍士官学校事件

1936年2.26事件

似たような事件が次々に起こって、最後が2.26事件です。

2.26事件とは軍部のクーデター、革命だったのだと初めて知りました。

国内の革命に失敗した軍部は、国外の革命に活路を見出した。それが大東亜共栄圏構想だったのだと初めて知りました。

北一輝の辞世の句「若殿にかぶと取られて負け戦」

国外の日本軍が天皇の言うことをきかなかったのも納得です。

戦後、東南アジア諸国が次々に独立したのも、日本人が戦闘に加わっていたのも、単なる偶然でなく、大川周明塾の功績があったからだと。

太平洋戦争は起こるべくして起こった。誰も止められなかったというのも納得です。

2.26事件の後、首相となった広田弘毅について、評価が分かれるという意味も、2.26事件の後始末を非常に厳しくしたからだろうと納得です。

軍部が政党政治を嫌ったのはなぜか、金で政治を動かすことを腐敗と認識したのだろう。

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2020年3月1日 | コメント/トラックバック(0) |

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