死とは??戦争とは???

鈴木正仁教授の論文を読んで

なぜ戦争は起こるのか?どうすれば、戦争を防げるのか?ずっと考え続けてきました。1つの結論が出たような気がします。残念ながら戦争は避けられない。人の死が避けられないのと同様に。 戦争は1つの社会の終焉を意味する。それは肥大化した組織の終焉でもある。日本の太平洋戦争は、明らかに軍隊組織の肥大化の終焉だった。明治から平成まで、日本は継続した社会を持つと言う人もいるが、太平洋戦争までと、それ以降では、社会組織が異なっている。戦後、組織の肥大化を阻止したものは平和憲法ではないだろうか。何かというと憲法に抵触するといっては反対運動が起こった。それが政府の性急な組織の肥大化を防いだ。徳川政権は300年続いたが、その間、人口の急激な増加はなかったといわれている。それでは、なぜ江戸時代は終わったのか。開国に伴う組織のほころびと、奇兵隊に代表される薩長土肥の新しい組織との対立。いわば、ライオンの世代交代のようなものではないかと考える。太平洋戦争と明治維新の時の戦争は違った2つのタイプの戦争なのだろうか。組織の肥大化という意味では、変わらない。軍隊組織が武士から市民にと拡大した。別の言い方をすれば、奇兵隊の拡大が太平洋戦争まで止まらなかった。それはねずみやバッタが集団で海に飛び込むのに似ている。誰にも止められない。 たとえ戦争が避けられないものであったとしても、なるべく悲惨にならない方法はないのだろうか。それは、江戸期終焉の戦争と太平洋戦争を比べてみるとよい。幕末の戦争に比べて、太平洋戦争は悲惨だった。何が原因であれほど悲惨な戦争になったのか。外国との戦争だったからとか、市民を巻き込んだ大きな戦争だったから、では理由にならない。私は戦争当事者の組織をコントロールする力の差ではないかと考える。太平洋戦争では、もっと早く終わっていれば、あれほど悲惨にはならなかったと言われている。しかし、誰も戦争を終わらせることができなかった。つまりは、誰も組織をコントロールする力を持ち合わせていなかったということではないだろうか。

平成23年8月13日

生物の死に、ネクローシスとアポトーシスがあるように、社会の死・戦争にも2つの死があるように思えてきた。江戸末期の戦争はアポトーシスで、太平洋戦争はネクローシス。私たちは、積極的な華麗な死を選びとらなければならない。そのために何をするべきか、今後の課題とする。

平成23年8月14日

明治以降、日本は日清戦争・日露戦争・第1次世界大戦と、ずっと戦争を続けてきたが負けたことがなかった。負けたことがない・・これが「ネクローシス」の原因ではないかと考える。

滋賀大・社会システム学科特任教授    鈴木(す ず き)正仁(ま さひ と)

システムとりわけ生命をもったシステムにとって、最大の「リスク」は何と言っても「死」ということになるでしょう。さまざまなリスクの行き着くところ、結局は自らの滅亡つまり死ということになるからです。 生物や社会などの「生命系」にとっては、「死」をどう回避するか、そしてあわよくば何とか、「永遠の生命・繁栄(不老不死)」を、手にすることが、究極の課題だと言うことも出来るでしょう。 社会システムが崩壊するという事態(つまり「社会の死」)に興味をもち、同じ生命系として生物体の場合はどうなのだろうと、最新の生物学理論(「複雑系生命論」!)を読み驚きました。なんと「死ぬ」ことは、生物が進化の過程で新たに獲得した能力だというのです!どうも「死」の中にも、受動的・消極的な汚い死(ネクローシス)と能動的・積極的な綺麗な死(アポトーシス)の二つがあるらしくて、後者は生物の獲得した「能力」らしいのです。存続のために、バクテリアのように無限に分裂を繰り返して自らのコピーを増やし続けるという、暴走車的な数量戦術をとっていた初期生物が、加速度的な資源消費による飢餓という自己矛盾に直面して、この暴走を止めるために獲得した新たな「ブレーキ」こそが、自ら「死ぬ」能力(アポトーシス)だというわけです。 具体的に言えば、無限に増殖するという「生」だけしかない単細胞生物的な世界(無性生殖)から、多細胞生物の有性生殖を通じて世代から世代へ、受精と自らの死によって生命の連続とその進化を図る世界へと、親の「死」と子の「生」を巧妙に組み合わせたことが一つ。いま一つは、受精卵から出発して個体が形態形成を行なう過程で、細胞分裂の「停止」や細胞の「予定死」を組み込むことで、一定の形と大きさをもった個体の形成を可能にしたこと(おたまじゃくしが蛙に変態する過程のしっぽの消失がその典型!)。 いずれも、「より良き生」を目指して、細胞や個体の死という形で生命の暴走を抑えるべく、「生」に組み込まれた「ブレーキ」機構だと言えるでしょう(このブレーキが壊れたのが「癌」!)。 このように、生物体はその最大のシステム・クライシスとも言える「死」に対しても、単にそれを回避するという方向に対処するだけでなく、「死」のもつ機能を逆手にとって、むしろそれを「より良き生」のために利用してさえいるのです。生命がもつ、なんというしなやかさとしたたかさ!そして同じ「生命系」として、社会システムにも同じく、「より良き生」のために組み込まれた「死」の機構がある筈だと思えるのですが…。

企業の組織肥大化の結果・・・死には至らずとも、失敗の原因がある。経済成長ばかりを望む企業にとって、トヨタに続いて、反省するべき資料を提示する。



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2011年4月22日 | コメント/トラックバック(0) |

カテゴリー:ブログ

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