でたらめ
先日の箸蔵寺の写真です。弘法大師さんと灯籠でしょうか。石がたくさん積まれていました。何かいわれがあるのでしょうか。きいておけばよかった。
今日も高井美穂さんの朝立ちをしてきました。30人くらい来ていたとのこと。20人以上と書いたのに、間違いはなかったですが。今日も寒かった。
今日の朝日新聞に養老孟司さんが言っています。
「明治維新は人々が信じていたものがすべてひっくりかえった。敗戦もそれに近い。僕は、世界はでたらめで動いていると思って生きています」
「学生まではお客さん扱い。社会人になると待遇が変わる。僕は早めにだまされて良かった。だまされないと大人にはなれないから」
書類の決裁で課長、部長と順繰りにハンコを押していくでしょう。僕にはあれが、「ここにハンコを押した人はこの件について一切の責任を持ちません」と言っているように見える。
世界がでたらめで動いているのはその通りだが、一方で世界はそのでたらめを何とか規則的に説明しようとする。でたらめの中にもある種の規則があるはずだと考える。
規則が強すぎると窮屈になり、弱すぎると混沌として強いもの勝ちの世界になる。でたらめな人間の活動を何とかして秩序のあるものにしようと、各国各様の法律・政治形態を取るのだが、でたらめな人間の方が賢いらしい。どんな規則を作っても抜け駆けをする人間が出てくるし、でたらめをするために規則さえ変える人間もいる。
2030年の電源構成を経産省は再生エネルギー20%台前半にするということだが、でたらめな試算で30%にしても良いと思うのだが。かつて、アメリカで自動車の排ガス規制が実現不可能と言われたことがあったが、今では軽々と実現できている。日本の企業努力に期待したい。
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2015年4月8日 | コメント/トラックバック(0) |
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