甘え

10年前に撮った福寿草の写真です。真ん中に黄色い花が見えるでしょうか。

今、首輪をはずすとき、丸山健二氏の本を読んでいます。面白い人、一生懸命に生きています。

花には絶頂期があって、その期間は短い。美の頂点を見極めることは、その花を育てている当事者にしかできないとか。漫然と花の写真をとっていた私には刺激的な言葉です。

「人間は甘えた存在です。家族に甘え、社会に甘え、職場に甘え、国家に甘え、・・」には、ちょっと待って、甘えさせてくれるのは、幼児の時だけ、花と同じように、アブラムシやらカミキリムシやらハダニやらうどんこ病やら黒斑病やらに襲われています。家族や社会と良い関係を作るために努力するのは、生きるためです。とここまで書いて、そういう男性はいるかもしれないと思った。しかし、そういう男性はいつかは破綻する。例えば、妻や子供に暴力をふるう男性は甘えているのかもしれない。親が死んでも親の年金を受け取る子供は国家に甘えているのかもしれない。それでも、甘えられる人は特殊な人で、大方の人は我慢にガマンを重ねて生きている。日本人は優しくて馬鹿だという人はいるけれども、我慢しているだけなのである。なるべく争い事はしないように、ガマンしているだけなのである。

首輪をはずすとき、とはいつの時なのだろうか。まだ最後まで読んでいないけれども、我慢を失ったら、日本人は日本人でなくなる。歌も芸術も失われるだろう。

今日の薬草協会は雨のため、談笑して終わった。ぎんなんをもらった。キーウイとハッサクを持って行って、ハッサクのむき方を教わった。自分の持っているものを持ち寄り、知っていることを教え、これらは決してお互いに甘えているだけではない。しかし、甘えることも必要、それが首輪をはずすとき、だといいのですが。

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2015年11月17日 | コメント/トラックバック(0) |

カテゴリー:ブログ

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