戦争とは(1)

どこの道の駅だったか、道の駅を見つけるたびに立ち寄りました。2021年11月、一人で紀伊半島を車で旅した時の写真です。

米軍占領期にずいぶんな殺人事件があった、という読書案内記を見た。国鉄の総裁や職員も殺されたし、不可解な事件はたくさんあった。私の父は心臓弁膜症という病気で死んだが、殺人を疑っている。父親の兄は国鉄職員だったが、戦後すぐ死んだ。殺人を疑っている。

私の父親は郵便局に勤めていた。戦後すぐ局長をつるし上げるという労働争議があったらしい。父親はその争議には加わらなかったが、講習道徳を主催したり、組合活動で全国に行ったと言っていた。労働争議の主導者は、平成4年私が四国に帰った時、町議会の重鎮だった。私はその男をにらみつけてやった。保育園を経営しているという事だったので悪い男ではなかったのかもしれないが、何かしら後ろめたいものはあったかもしれないと思っている。私が町議会に出馬した時、その男は出馬しなかった。

しかし、戦争との違いは、その数が1割にも満たないという事だろう。女と子供には及んでいないという事だろう。

戦時に自己決定権を持つ人は1割、5割以上は選択できない状態にある。

平和時に自己決定権を持つ人は5割、1割は選択できない状態にあるかもしれない。平和時でも殺人はあるし、自殺もある。しかし圧倒的に数の問題である。

どちらが勝っても良いから、はやく戦争を終わらせてほしい、というのが女と子供の願いである。

自立だ、独立だというのは、命あっての物種・・・

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2022年3月6日 | コメント/トラックバック(0) |

カテゴリー:ブログ

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