忙しい1週間

今週も忙しかった。

写真は5月24日(金)徳島県消費者協会総会の講演です。邪馬台国は阿波だったと説明してくれました。台は昔は臺と書き、トと読むのだとか。邪馬台国はヤマタイコクでなく、ヤマトなのだとか。ヤマトとは阿波のことで、後に奈良をオオヤマト(大倭)と呼ぶようになったとか。大倭が大和になったと考えると、理屈に合うのですが。

私は大杉博氏について質問した。徳島の人は大杉氏のことを、ごじゃばっかり言うて、と言うけれども、私が最初にこの説に出会ったのは大杉氏によってだった。多少間違ったことを言っても、大杉氏を頭から否定するのではなく、大杉氏の功績を認めても良いのではないかと言いたかったのですが。

今日、土曜日は三好市女性連絡協議会の役員会でした。総会は6月22日(土)13時30分~に決まりました。三好市消費者協会が受付をすることになりました。受付は13時からです。

それに先立って、6月8日(土)に”ときわプラザ”にて「さよなら、アルマ」赤紙をもらった犬~という映画鑑賞にバスでアスティ徳島へ行くことが決まりました。

5月20日(月)の三好市消費者協会総会は無事に終わりました。会員が39名から36名に減りました。私が会長でいる限り会は”ジリ貧”と考えて、会員増のために会長を変わろうと考えています。

5月21日(火)と23日(木)はバイトに行ってきました。

5月22日(水)は丸亀へ洗濯と創生水をもらいに行ってきました。創生水を飲む友の会があって、最初は700名ほどいたのに、今は30名ほどなのだとか。似たような水素水があちこちにできて、そのせいだと思われる。

もう、このランドリーをやめようかと思っていると店主は言った。周辺に似たようなランドリーが次々できて、そのたびに売り上げが減っているのだとか。しかし、洗剤を使わないランドリーはここだけです。

世界の洗剤メーカーを相手に戦っているのです。皆さま、ここのランドリーを応援してください。

香川県丸亀市田村町118-1、9時~17時、金曜日は休みです。斜め前に喫茶店があって、そこで休んでいる間に、店主が洗濯から乾燥までしてくれます。

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2019年5月25日 | コメント/トラックバック(0) |

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雑草の中に

自宅の庭の雑草の中にも、いろんな花が咲いています。

黄色いのはアヤメかな。

鉢植えは蚊連草、群生している黄色の小さな花は万年草かな。

最後の白い花は芍薬です。

今週は忙しかった。5月12日(日)は消費者まつりで四国大学に行ってきました。体育館で手作り製品の販売やエシカルについての講演がありました。

13日(月)は町内会長会が総合体育館でありました。水道料金が上がるのだとか。今は最低で1,836円、赤字を解消するためには2,700円くらいになるとか。それでは高すぎるので、調節するのだと言っていました。私は水道事業の赤字の原因は俵町長時代の過剰投資が原因なのだから、誰か責任取れ!と言いたかったけれども、俵町長を選んだのは池田町民なのだから、三好市民が責任を取ればよいのだと思い直した。

14日(火)は三野町の薬局へバイトに行ってきました。4月から行き始めて12日目です。かなりブランクがあったので心配していましたが、気持ちよく働いています。

15日(水)は健康と食事、料理教室です。余った味噌汁をいただいて、16日に食べました。

16日(木)は仕事の休みをいただいて良かった!市報を配ったり、一斉清掃の収集袋を配ったり、日赤の社費を納めに行ったり、防犯灯設置のお願いに行ったり、消費者総会の監査印をもらいに行ったり、

17日(金)は徳島県消費者協会の組織部会、13時開会だったので10時に出発して十分時間があったはずなのに、途中で食事して遅れてしまった。いつもは会場で食事するのだが、駐車場代を節約するためにギリギリに入るつもりが遅れた。

そして、今日は18日(土)、1週間に1回の掃除をすると夕方になった。20日の三好市消費者協会総会の資料がまだできていない。明日があるさ、明日がある・・・

昨日の新聞に米軍佐世保基地で警備を担う日本人の従業員が、米軍の指示により、実弾の入った拳銃を携行したまま基地外の公道を歩いて移動したことが日米地位協定に違反、銃刀法違反にも当たると書かれていた。

その記事を見て考えたことは、ケムトレイルのことである。昨日も1日中、ケムトレイル散布があった。

その半分は海に落ち、1割は米国にも届くであろう。残りの大半は雨で河川を通り海に流れ、その水を米国人も飲むであろう、ご苦労なこった!と冷ややかな見方をしていた。

しかし、日本人が米軍の命令によりケムトレイル散布をしているとなると、重い気分になる。

今日の新聞にはノルウェーが仲介して、ベネズエラの政府側と反政府側がオスロで交渉しているとか。こういう方法もあるのだと、よく覚えておこう。

北朝鮮が米国による貨物船押収で国連総長に抗議の書簡を送ったとか。安倍首相は北朝鮮の貨物船を米国から返してもらうことをお土産に北朝鮮に行けると思うのですが。

最近、安倍首相は中国やイラン外相と良い関係を築いているように見えますが、それも選挙まで、とならないように・・・気をつけましょう。

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2019年5月18日 | コメント/トラックバック(0) |

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藤の花の終わり

連休が終わりに近づいて、藤の花も枯れ始めました。

令和、レイワと言っているうちに、違和感のあった令和も馴染んできましたね。平成が平成でなかったように、令和も令和でないかもしれない。和して命令に従えと言っても、誰も従わなかったりして・・・などと考えています。

中野剛志氏がユーチューブで「グローバル化は日本を滅ぼす。TPPに加盟した日本はもう遅い、手遅れです」と言っていました。私もそう思うけれども、一足飛びにはいかないだろうと考えます。ある人は「ゆでガエル」の状態だと言う。

カエルもかなりゆで上がってきたけれども、まだ死なない。ケムトレイルの空の下でも、「幸せですか?」と尋ねられると、「はい、幸せです」と答える。

親米派はかなり多い。子供のころ、米軍にチョコレートなどをもらって食べた。米軍に敵意はない、という人も多い。

私は、爪水虫で、もう遅い、と言われたけれども、すぐに死ぬとは思っていない。大事なことは情報で、何が問題かを知っているか、知らないかの違いだと考える。

佐藤優氏のユーチューブで「拝金教、出世教」というのがあった。拝金教も出世教も信仰できる人はごく1部で、大方の人はそんな宗教があることすら知らない。知らないから、そういう1部の人たちに踊らされる。それが問題である。ユーチューブのおかげで、いろいろな問題を知った。まず知ることから、

「拝金教、出世教」を信仰している人たちは、もしかして飼われているのではないか、とも考えている。例えば、ちょっとした好奇心がもとで悪の道から抜けられなくなったように、何かしらが原因で抜けられなくなっている?

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2019年5月6日 | コメント/トラックバック(0) |

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朴ノ木

自宅で朴ノ木の花が今年も白い花をつけました。写真の向うの大きな木が朴ノ木です。真ん中が柿の木、手前がサクランボの木です。

坂村真民先生を尊敬していた母が朴ノ木を畑の真ん中に植えました。

おのずから(念に生きる~という本の抜粋です)

花おのずからにして咲き 道おのずからにして開く

ああ わが愛する朴ノ木のごとく

あせらず いそがず この世を生きてゆかん 1つの道を貫きゆかん

守らせたまえ 導きたまえ

今日は良い天気でしたが、黄砂のせいか、ケムトレイルのせいか、青い空ではありませんでした。このところ、抜けるような青空は見られません。

台所に立つたびに、母が最後に布巾でふいて終わりだと言っていたのを無視していたことを思い出しています。今は「母さん最後までしたよ」と言いながら布巾を使っていますが、あのころは忙しかった。

災害などで患者を診察する順序を決めるためトリアージをします。私の行動もトリアージにもとずいています。まず好きなこと、しなければならないことを優先します。あとは、なるべくカットします。このカットの方法が若さと元気の秘訣ではないかと考えているのですが。しかし、もしかしたら、効率優先でカットしてきた行動の中に政治があったのかもしれません。

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2019年5月4日 | コメント/トラックバック(0) |

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片付け

私の家にも牡丹の花が咲きました。枯れているのかと思っていました。遅くまで葉も付けなかったのに、ふと見ると花が咲いているのです。

昨日から雨です。長い間散らかしていた2階の和室を片付けました。2013年に滋賀大経済学部に送った「わが青春の彦根」という随筆の原稿が出てきました。我ながら上手く書けていると思ったので、転載します。

生まれて66歳になる今日まで、前だけを向いて走って来たように思います。そういう意味では彦根時代だけではなく、今でも青春を謳歌しています。青春の特権とは、失敗を恐れないこと、無知であること、柔軟であること、未来があること、そして時に無謀であることだと思っています。

私は昭和45年京都薬科大学を卒業後、16年経って共通1次試験を受け滋賀大に入学しました。入学してみると社会人入学制度があって、それで入学した人が数人いましたが、そんな制度があることすら知りませんでした。

政治に関心を持ち、政治家になるためには法学部に行かなければと考え、前年に京大の法学部を受けて落ちました。政治家といえば衆議院・参議院しか頭になく、そのためにはしかるべき大学を卒業しておかねばならないと考えた結果の事でした。今は、政治は法律でなく経済だと思い、経済学部を卒業したことを誇りに思っています。そして今は三好市の市会議員をしていますが、市会を牛耳っているのは、中学・高校の落ちこぼれで、私は浮いていることもお伝えしなければならないことです。

毎年夏休みの終わりに50枚の論文に応募しました。2回生と3回生のとき入賞しました。その時の論文が一生を左右するような結果となりました。3回生の時、知らない先生から呼ばれました。教授の部屋に入ると、私の論文を読んだと言われました。そしてこのような論文を書く人はどんな人か会ってみたとだけ言われました。感想は何も言わず、ただ会っただけ。地味なタイプの先生でした。

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2019年5月1日 | コメント/トラックバック(0) |

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