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竹中平蔵

竹中平蔵氏が岩盤突破するのだと言っている。

次は医者の学校を増やして、医者を大量生産するのだと言っている。

医者の息子に意見をきいてみた。以下は息子の意見。

収入の減りそうな開業医(医師会)は反対し、激務から解放されたい勤務医は概ね賛成すると思う。医師のレベルは下がるが、病気ごとに専門が細分化されているので、それは大きな問題ではないかも。医療費の高騰に加えて医師の収入確保のため、保険外診療、混合医療が増えて、健康がお金で買える時代になる。

今日は近所の人がおこわをくれた。お礼に梅ジャムをあげた。

入江先生の葬式に行った。先生は数え年106歳、私の母は数え年94歳だった。

オリーブの木を薬草園に植える予定だったが、雨の降る前に植えてくれた。

一斉清掃の日

今日は一斉清掃の日です。6時半に起きて、7時半に外に出てみると、もう近所の人が草を取っていた。溝の掃除をし、畑の草を刈り、花壇に水をやり、ジュースを配った。12時ごろ風呂に入った。といっても、最近はシャワーですませている。

イギリスと日本、森嶋通夫氏の本を読んだ。

資本主義国では、分配の仕方に変更を加えることを好みませんから、国民の物質的幸福を増すには、純生産物の総額を増加させねばなりません。これに反し福祉国家では、国民の幸福を大きくするには、純生産物をどう分配すべきかを考えますから、純生産物を増加しなくても、分配の仕方を改良して幸福を増進させることができます。

こういう考え方を発信する人は、最近いなくなってしまった。

消費者まつり

今日は県消費者総会と消費者まつりに行ってきた。女性連絡協議会の総会もあって、そちらに行くように頼まれたのだが、先着順というか、ずっと以前から県消費者総会に行くように頼まれていたので、女性連絡協議会総会の方は断った。

消費者まつりで、本の販売をしていたので、3冊買ったつもりだったが、支払ったのは0円。

適応の条件 中根千枝 講談社

女が職場を去る日 沖藤典子 新潮文庫

イギリスと日本 森嶋通夫 岩波新書

帰ってからは、ずっと、三橋貴明氏の話をパソコンで聞いていた。彼が言っていることは、全くの左翼なのに、なぜ左翼嫌いなのかわからない。

おそらく、彼の周辺の左翼が、えせ左翼なのだろうと思う。

副島隆彦氏の時もそうだった。

私は彼らに内田樹氏の本を読むことを勧める。あれくらい達観しなければ、つい右翼に走ってしまう。左翼と右翼は行動に置いて、似通っているものだから。

県道拡張工事

三好市議会議員の現役時代に頼んでいた県道269号線三縄停車場黒沢線の三縄駅近くの十字路から10mほど黒沢寄りの元NTT中西住宅があった隣接地に沿って20mほど県道を拡張してくれることになった。

ちょっとした工事でも大変なことがわかった。

電柱が2本立っているのだが、移動する場所がない。

水道管が通っていたり、排水管が通っていたり、

都市計画など念頭になく、かってに各自が家を建てているものだから、排水路が迷路のようになっている。大雨が降ると床下に浸水する家があって大変だけれども、どうにもならない。

徳島県男女共同参画リーダー連絡会

徳島県男女共同参画リーダー連絡会という組織があることを知っていますか。

県が第1回徳島県婦人問題リーダー養成講座を始めたのは昭和61年でした。

その後、20年間講座が続けられていましたが、平成18年に打ち切られていました。

多くの女性たちの努力の結集により、男女参画・人権課ができ、今年から復活するそうです。ぜひ、多くの女性の参加を希望します。

その講座のOB会が、リーダー連絡会です。今日は総会が徳島県男女共同参画交流センター「フレアとくしま」学習室でありました。

私は母に勧められて平成8年ごろ参加しました。

婦人問題を学ぶねらいは、笹野貞子先生によると

第一に、人間を知ることであり、女性が社会とどう関わって生きるかという社会性に目覚めることである。また、自分にはどんな能力があるかを考え、その能力を生かしていく方法を考えるようになることでもある。

第二に、サバイバルできる人間を育てることである。

2006年11月、さばいばる、20年をふりかえって~に私はこんなことを書いていました。

20年前といえば、私の40歳のころ、政治家を志し滋賀大学経済学部に入学した頃です。一人息子は中学3年生でした。

問題の多い私生活を送っていましたが、女性問題には関心が薄く、私生活の問題を政治や経済や社会に求めていました。純粋に生きてきたつもりの自分がなぜ、問題を抱え込むことになったのか、一生懸命に考えていました。あのころの思考に比べるとリーダー研修なんてものは、なまっちょろいものでした。経済的、肉体的苦労こそしていませんが、あのころの苦労を考えると、何にでも耐えられると思っています。危ない橋を渡ってきた20年間でしたが、多面的な思考が私を救ったと考えています。

また選挙に落ちた。大概の人は1回で懲りるところを、今まで5回選挙して、1回町会議員に当選しただけ。でも、また頑張ろうと思っている。ほとんど病気かも。

「苦労してない人はいないよなあ」と誰かが言っていた。

苦労は厭わないけれども、悲惨な目には会いたくないと思う。だから用心して行動している。女もがんばらなければと思う。男だけに政治を任せてなるものかと思う。夢も人も育ちにくい世の中だけれども、それでも頑張る。私が頑張らなければ、誰が頑張るのかと思う。

8年前に書いたものである。

今も変わらない。

ほとんど病気かも。

憲法9条を考える

少なくとも5年以上前に、投稿した随筆です。新聞広告にも出しました。今読んでも、間違ったことは書いていないと思うので、憲法記念日も近づいてきたので、投稿します。

ちなみに、仙石元代議士は、現実とずれている憲法は改正するべきだと言っていました。

今はどのように考えているか、わかりませんが。

憲法論議をテレビ中継などで見ていると、憲法の前文「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する」これを本当の意味で信用しているのは、憲法改正論者で、本当の意味で信用していないのは、憲法擁護論者だという気がする。

国民が選んだ代表者が信頼できるかどうか、例えばドイツのヒットラーは選挙で選ばれたし、イラクのフセインだって選挙で選ばれている。イギリスのブレア首相は国民の大多数が反対するイラク派遣を強行したけれども、やはり選挙で選ばれた。

それでは、なぜ信用していない憲法を守ろうとし、信用しつつ変えようとするのだろうか。それは、現実認識に違いがあるからだと思う。わが徳島のホープ仙石衆議院議員の理論は整然としているが、国民が選んだ政府が信用できるかどうかという点については、戦前が異常で現代が正常だとする歴史認識の違いとしか言いようがない。

どちらが異常かという問いに関しては、どちらも正常だったと私は認識している。それ故に、どちらに転ぶかは、紙一重、紙一重の違いで戦争をしたり、しなかったり、抑圧された政権ができたり、できなかったりするのである。

現代のような情報化社会においては、戦前のような思想統制は不可能だと多くの人は考えている。しかし、ファッションにしろ、健康食品にしろ、一定の方向に流れるし、何より、2001年9月11日以降の米国の状況を見れば、物言えぬ社会が再び来ないという保障はどこにもない。米国はこのままファシズムに向かうのか、よみがえるのかという問いに関しては、よみがえってほしいという望みも含めて、よみがえると答える人は多い。しかし、日本が今の米国のようになったとき、よみがえることは不可能に近い。

憲法改正論者の常とう理論は、自衛隊は憲法違反をしている。多くの国民は自衛隊を認めている。それ故、どちらかを変えなければ、現実に合わない。憲法9条の方を現実に合わせて変えるべきだと主張する。自衛隊を憲法で認めても、日本は平和を主張できると言う。

しかし、理想を失った政治はどこへ行くのだろう。武力と金にまみれた現実の政治を容認するのだろうか。かつて日本は現実に合わそうと努力に努力を重ねた結果、太平洋戦争という泥沼に入ったのではなかったのか。

米国は自由という理想を掲げている。フランスは自由、平等、博愛を掲げてフランス革命を戦った。

米国やフランスの現実が、いかに理想に遠いものかは、もはや常識ではないだろうか。現実はどうあれ、唯一の被爆国として日本は平和を掲げて、将来心ある政治家が出てきた場合、その夢を実現するべく、未来に希望を託しても良いではないかと思う。

また、日本の外交を、弱腰外交、謝罪外交と揶揄する声も聞かれる。「ノー」と言える日本にするためには、憲法9条の改正が必要だというのである。各国から袋叩きにあっているように見える日本に、右翼的な人たちはかなりのストレスがたまっているようだ。

「実るほど頭を垂れる稲穂かな」今の日本は実っているのであって、飢餓に苦しんでいるわけでない。かつて欧州のまねをしたように、米国をまねて、武器を持って各国を黙らせたいのだろうか。それは思考の停止につながる。

財界の中には、20年前のイラン・イラク戦争で各国は自国の軍隊の派遣によって早急にイランからの脱出が可能だったのに、日本だけは自衛隊の派遣もままならず、トルコの協力によって危機一髪脱出できた。それゆえ憲法を改正したいという欲求があるようだ。

しかし、自分たちの努力で、トルコの協力を得て危機一髪脱出できた国と、自国の軍隊によって安易に脱出できた国のその後を振り返ってみよう。日本はそういう努力の積み重ねによって今日の経済的繁栄が築かれたと思えないだろうか。自国の軍隊に守ってもらいながら、外国で商売をするのは、口でどのようにりっぱに市場主義を唱えたとしても、帝国主義にほかならない。日本は世界で唯一の市場経済主義国家ではないだろうか。

日本の企業の方が国家よりも、はるかに多くの情報を持っているとは、よく聞く話である。

それが今日の日本の企業を強くした秘訣ではないだろうか。これからも大きな目と耳を持って自分たちの安全を自分たちで確保しながら、世界に羽ばたく企業になってほしい。日本の企業には国家に頼らずとも自分たちの力で安全を確保できる十分な余力があるのだから。国家に安全を頼ったとき、それは日本の企業の凋落のときだと思ってよいと思う。

狭小邸宅

新庄 耕  「狭小邸宅」を図書館で借りて、一気に読みました。

「生きてる」って、こういうことなんだ。という気持ちと

「そんなに 一生懸命 生きなくてもいいのに」という気持ちと

不動産業という職業について、詳しく知りました。

どのような職業にも、誇りと、軽蔑と、不満と、優越、が同居していることを知りました。

今日は13時30分から、消費者協会でゴキブリ団子を作りました。12時に郵便局で50円の葉書に2円切手を2枚貼りに行き、時間が余ったので図書館へ行ったのでした。

七転び八起き

昨晩、中2町内会の総会がありました。事業報告、会計報告、事業計画、予算、役員改正と進みました。

議事はスムーズに進められ、私は1組の組長となりました。順番が回ってきただけです。

最後に、私が選挙のお礼を言いました。

「七転び八起きの高井ですから、今度こそ久保や南に負けないようにがんばります。」と言いました。

お通夜のようだった集会が急に盛り上がりました。七転びには、六転びにはない景色が見えると感動しました。

庶民の声による平和の願い

中国軍が日本軍にレーダーを照射したという問題。

私は中国軍が日本側のねつ造だと言うのだったら、それでいいではないかと思う。

日本が本当に知りたいのは、中国が日本と戦争をしたいのかということだけ。

軍隊というのは、そういうものだから、1部の人たちは戦争をしたいのかもしれない。しかし、中国政府はしたくないということがわかった。それだけで、十分だと思うのだが・・・・。

北朝鮮もいろんなことをやっている。

北朝鮮の望みは体制を維持したいということだけ。

私は破たんしたアフリカ諸国よりも北朝鮮の方がよほどましだと思っている。

拉致被害者にしても、少なくとも、殺されてはいない。

経済制裁ではなく、もっと別の方法が考えられないだろうか。

庶民の私たちの意見が、どの政府にも吸い上げられないのが残念である。

北朝鮮は本当に戦争を望んでいるのだろうか。戦争の好きな国が第9など演奏しますか?

本当に戦争を望んでいるのは、どこの誰なのか、考える必要がある。

北朝鮮を経済制裁すると最も声高に叫んでいる国はどこか、考える必要がある。

文芸春秋

平成23年12月3日、徳島県三好市池田町中西・三縄小学校で撮影しました。

右から、内田敦正・三重大学学長

温泉川梅代・ユノ川クリニック院長・広島県産婦人科医会副会長

高井マサ代・三好市議会議員

柏木厚典・滋賀医科大学病院長

私が皆さんの仲間に入れてもらったきっかけは、内田先生が三好市に講演に来た時のことでした。講演に大変感動して、もしかして、私と似たような考えを持っているかもしれないと思い、私もホームページを開設しているから、ぜひ見てほしいと言って名刺を渡しました。それがきっかけとなり、文芸春秋になったと思います。

12月3日の11時に三縄小学校に集まり、写真を取り、12時から上野レストランで、ミニ同窓会をしました。

まん中が恩師の坂本先生。御年80歳になるとか・・・

写真の日付は違っています。遠く、高知市や徳島市から駆けつけてくださった方もおります。

文芸春秋、4月号92ページの塩野七生氏の投稿はすばらしい。

民主政とは、選挙で50%+1票を獲得したほうが政策を実現し、任期終了期には再び民意を問うて、それが否と出れば政権は反対党に移る、ということで成り立つ制度である。ところが、こうも簡単なことが実際にはなかなか簡単には行かない。

その理由の第1は、与党に反対するのは野党とはかぎらず、与党内野党という存在もあること。また、連立しなければならない場合は、小党であろうとその党の意見も容れざるをえないこと。そのうえ、本来ならば過半数をとったのだからそれで突き進んでいいはずなのに、なぜか有識者とかマスコミが、少数意見も尊重すべしとやかましく言い立てる。こうなると、政権党といえども次の選挙が気になり、おかげでこれらを無視できないのだが、ゆえにあちこち調整し落としどころを探ったあげくに実現した政策は妥協の産物と化し、有権者たちの眼には、政治家たちは何もやっていないではないか、と映ってしまうことになる。

そのとうりだ。

しかし、私が反対している船井電機工場跡地に文化ホール建設を、選挙で勝ったからといって実行してもらっても困るのですが・・・・だいたい選挙で勝つ人は、こういう大きな施設をつくることを公約している。そうでなければ、選挙に勝てない。

もしも、私が船井電機跡地の音楽ホール建設に反対しているのでなければ、素直に喜べたでしょう。

しかし、今は、ここまでやるか!と思っている。

でも、私たちの反対がなければ、このような演劇活動もなかったことを思えば、私たちの反対活動も役に立っているとは思いませんか。

この演劇活動が本物かどうかは、10年経ってみないとわからない。

このまま、反対活動は続けますが、もう、どうでもいいような気分にはなっている。

四国が、死国になろうが、儲けた人間が、いつのまにか、さっといなくなろうが、・・・

ただ、民主主義の行く末を最後まで見てやろうという意欲はある。

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